吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ―トルコと日本の動物愛護 編―

2025年8月28日

吾輩は猫である ―トルコと日本の動物愛護 編―

吾輩は猫である。
旅好きの飼い主に連れられ、
この夏、海を越えてトルコを訪れた。

驚いたのは、街中の猫の多さだ。
カフェの椅子にも、モスクの階段にも、
市場の棚の上にも、当然のように猫がいる。
しかも誰も追い払わず、水皿や餌が置かれている。
「ここでは猫は町の住人」と、ある青年が言った。
市も法律で動物への虐待や遺棄を禁じ、
地域全体で世話をするのだという。

一方、日本では、野良猫は「地域猫」として
ボランティアや行政が協力して世話をする動きはあるが、
場所によっては餌やりが苦情の種になる。
法律上も、虐待や遺棄は禁じられているが、
人と動物の距離は、どこか控えめだ。

トルコの町では、
パン屋の前で吾輩がくつろいでいても、
店主は「お客さんを呼ぶ招き猫だ」と笑う。
日本なら「衛生面が…」と追い払われるかもしれない。
どちらが良い悪いではない。
文化や環境、歴史が違うだけだ。

ただ吾輩は思う。
人と動物が互いに心地よく共存できる町は、
きっと人間同士も暮らしやすいのではないか、と。

旅の終わり、港町の夕陽の中で、
吾輩はトルコの猫仲間に別れを告げた。
そして日本に戻ったら、
少しでもこの「おおらかさ」を
しっぽの先にまとって帰ろうと決めた。

吾輩は猫である。
国境を越えても、
心地よいひなたの場所を探す本能は同じなのである。


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gonta

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