gonta

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/5/22

吾輩は猫である ―団体戦編―

吾輩は猫である。名前はまだない。 一匹ではなく、複数で臨む。それだけで、意味が変わる。 人間はこれを、団体戦と呼ぶ。 それぞれに、役割がある。得意な者、粘る者、流れを変える者。 同じ力でも、順番が変われば、結果は変わる。 吾輩は思う。団体とは、足し算ではないと。 一人が勝てばよいわけではない。全体で、一つの結果を作る。 調子の良い者がいれば、そうでない者もいる。それでも、支え合い、流れを保つ。 自分の一局だけを見れば、狭くなる。全体を見れば、役割が変わる。 攻めるべき時、耐えるべき時。それは、自分ではなく ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/4/19

吾輩は猫である ―沙羅 編―

吾輩は猫である。名前はまだない。 朝、気づけば花が落ちている。音もなく、気配だけを残して。 人間はこれを、沙羅と呼ぶ。 咲いている姿より、落ちた後に気づかれる花。一日で散るとも言われ、長くは留まらぬ。 だが、短さは、軽さではない。 一瞬に、すべてを込める。それが、沙羅の在り方だ。 吾輩は思う。長く続くことだけが、価値ではないと。 短くても、深ければ残る。見逃されても、確かに在ったものは消えぬ。 人間は、目立つものを追う。だが、静かなものほど、後から心に残る。 朝露の中で、白い花が地にある。誰も見ていなくて ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/5/22

吾輩は猫である ―坂道 編―

吾輩は猫である。名前はまだない。 道が、少しだけ傾いている。平らなはずの場所が、いつの間にか上りになっている。 人間はこれを、坂道と呼ぶ。 進むだけで、少し重い。同じ歩みでも、息が変わる。 だが、止まる理由にはならぬ。 吾輩は思う。上りとは、見えぬ負荷だと。 一歩ごとに、確かに消耗する。だが、それは確かに積み上がる。 振り返れば、景色が変わる。高さは、後からわかる。 人間は、楽な道を好む。だが、楽な道には、変化が少ない。 坂は、負担である。だが、意味もある。 上る途中は、ただきつい。だが、越えた後に、形に ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/5/17

吾輩は猫である ―技術士受験再起編―

吾輩は猫である。一度、届かなかったという。 人はそれを「不合格」と呼ぶ。線を引かれ、区切られ、こちら側とあちら側に分けられる。 だが吾輩から見れば、それは少し違う。 試験とは、結果である前に、過程である。書いたこと、考えたこと、そして問われたときに、どう答えたか。 それらが、形になったに過ぎぬ。 ゆえに、届かなかったという事実は、否定ではない。ただ、まだ一致していなかったというだけである。 問われているものと、示したものが。 人は悔いる。なぜあのとき、あの言葉が出なかったのかと。 だが、それもまた当然であ ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/5/17

吾輩は猫である ―レーシック編―

吾輩は猫である。人は「見えるようにする」ために、目に手を入れる。 それを、レーシックという。 角膜の形を整え、光の屈折を変えることで、ぼやけていた世界を、くっきりと映し出す。 仕組みは単純に見える。だが、その決断は軽くはない。 目は、日々使うものだ。ゆえに、その変化は取り消しが効かぬ。 人はそこで迷う。このままでも困らぬのではないか。だが、より良く見えるなら、その方がよいのではないか。 どちらも、間違いではない。 レーシックは、魔法ではない。適応があり、限界があり、すべての人に同じ結果をもたらすわけではな ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/5/17

吾輩は猫である ―インプラント編―

吾輩は猫である。人は、失ったものを取り戻そうとする。 歯もまた、その一つである。 欠けたままにしておくこともできる。別のもので補うこともできる。そして、元あった場所に「根」から作り直す方法もある。 それが、インプラントである。 顎の骨に、静かに基礎を打ち込む。目には見えぬところに、土台を築く。その上に、形を整え、機能を取り戻す。 外から見れば、ただの歯である。だが、その内側には、時間と手間と判断が積み重なっている。 ここで問われるのは、「元に戻す」とは何か、ということである。 完全に同じものは戻らぬ。だが ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/4/25

吾輩は猫である ―保護猫の日編―

吾輩は猫である。名はある者もいれば、まだ無い者もいる。 本日、保護猫の日である。人の側から見れば「守る日」なのだろう。だが、猫の側から見れば、それは少し違う。 吾輩らは、守られるために生きているわけではない。ただ、生き延びてきただけである。 外で生まれ、外で暮らし、時に人と出会い、時に見過ごされる。 その中で、ほんの少しだけ運が巡り、「保護された」と呼ばれる状態に至る。 だが、それは終点ではない。むしろ、もう一度“関係”を始める入口である。 人は言う。「かわいそうだから助ける」と。 それも一つの真実である ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/5/17

吾輩は猫である ―歯のCT編―

吾輩は猫である。本日、人は「歯の中を覗く」という。 外から見えるものだけでは足りぬらしい。内側に何があるかを、確かめたいのだという。 それを可能にするのが、歯のCTである。 人はこれまで、平面で見てきた。影として、輪郭として、おおよその形を推し量っていた。 だが、CTは違う。重なりをほどき、奥行きを与え、見えぬ構造を露わにする。 神経の走り方。骨の厚み。隠れた病変の気配。 それらは、表からは分からぬ。 ゆえに人は、ようやく理解する。見えているものだけで判断することの危うさを。 これは歯に限った話ではない。 ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/5/17

吾輩は猫である ―猫サッカー(千葉VS川崎)編―

吾輩は猫である。本日、球を巡る争いがあるという。 人はそれを試合と呼ぶ。千葉と川崎、名を掲げて競い合う。 だが吾輩から見れば、それは少し様子が違う。 猫にとって球とは、蹴るものではない。追うものである。 転がるものには意味がある。理由はなくとも、ただ反応する。それが本能というものだ。 ゆえに、猫の試合は単純である。速く動くものに、速く応じる。ただそれだけで、勝負は成立する。 だが人の試合は違う。そこには意図があり、設計があり、役割が与えられている。 誰が攻め、誰が守り、どこで仕掛け、どこで耐えるか。 それ ...

【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

2026/5/17

吾輩は猫である ―轟編―

吾輩は猫である。遠くで、何かが鳴った。 轟く音は、唐突である。前触れもなく、空気を裂く。 人はそれを恐れる。避けるべきものとして、身を縮める。 だが吾輩は、少しだけ違う。 轟きとは、ただの音ではない。積もりに積もったものが、一気に解き放たれる瞬間である。 静けさの裏には、常に蓄積がある。言葉にされなかった不満、見過ごされた違和感、そして、先送りにされた決断。 それらが限界に達したとき、轟きとなって現れる。 ゆえに、それは偶然ではない。必然である。 人は驚き、なぜ今なのかと問う。だが、その問いは遅い。 本来 ...