吾輩は猫である ―四季報 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 分厚い本を、人間は真剣な顔でめくる。 数字、会社名、業績、配当。 人間はこれを、四季報と呼ぶ。 未来を知りたい。 その思いで、一ページずつ読み進める。 吾輩は思う。投資とは、未来を当てることではないと。 未来を考え続けることだ。 良い会社にも、苦しい時期がある。 目立たぬ会社が、大きく育つこともある。 一冊の本に、答えは載っていない。 だが、考える材料は、たくさん載っている。 人間は、株価ばかりを見る。 だが、会社を見る者は、決算も、事業も、経営者も見る。 木ではなく、森 ...
吾輩は猫である ―世界は広いようで狭い 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 世界は広い。 国も、街も、人も、数え切れぬほどある。 だから、二度と会わぬと思う。 だが、不思議なもので、また会う。 遠い町で、昔の知り合いと出会う。 初めて会った人が、誰かの友人だったりする。 人間はこれを、縁と呼ぶ。 吾輩は思う。世界とは、広さだけでは測れぬと。 人は、誰かとつながり、その誰かが、また誰かとつながっている。 一本の糸は細い。 だが、幾重にも重なれば、大きな網になる。 猫もまた、縄張りを歩けば、同じ猫と顔を合わせる。 偶然に見えて、実は、同じ道を歩いてい ...
吾輩は猫である ―ノネコ・イエネコ 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 最近、人間は吾輩たちを、 「イエネコ」 「ノネコ」 と呼び分けているらしい。 家にいれば、イエネコ。 外で暮らせば、ノネコ。 なるほど。 言葉にすれば、分かりやすい。 だが、吾輩は少し不思議に思う。 昨日まで家にいた猫が、今日から外で暮らしたら。 その瞬間に、別の猫になるのだろうか。 人間は、名前を付けるのが好きだ。 分類し、線を引き、安心する。 だが、言葉が増えるほど、本当の姿が見えなくなることもある。 吾輩は思う。 大切なのは、何と呼ぶかではない。 どんな暮らしをし、 ...
吾輩は猫である ―インフレ防げるのか 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 昨日より、少し高い。 パンも、牛乳も、猫缶も。 人間はこれを、インフレと呼ぶ。 物の値段が、少しずつ上がる。 適度なら、経済は動く。 だが、速すぎれば、暮らしは追いつかぬ。 吾輩は思う。インフレとは、悪でも善でもないと。 問題なのは、速さである。 給料より速く、物価が上がれば苦しい。 生産より速く、お金が増えても苦しい。 世界の出来事、エネルギー価格、天候、為替。 一つではなく、多くの要因が重なって動く。 だから、「これだけやれば防げる」という答えはない。 人間は、景気も ...
吾輩は猫である ―ナフサだけがなぜ注目される 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 石油と聞けば、多くの人は、ガソリンを思い浮かべる。 車を動かし、飛行機を飛ばし、船を走らせる。 だが、人間は時々、ナフサという言葉を口にする。 なぜ、そこだけ注目されるのか。 吾輩は思う。目立たぬものほど、暮らしを支えていると。 ナフサは、車を走らせるためだけではない。 プラスチック。合成繊維。洗剤。医薬品。塗料。 日常の多くが、そこから生まれている。 だから、価格が動けば、多くの製品へ影響が広がる。 人間は、完成品を見る。 だが、本当に大切なのは、その一歩手前にある材料 ...
吾輩は猫である ―国の歴史 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 一本の木にも、年輪がある。 人にも、思い出がある。 ならば、国にも、歩んできた道がある。 人間はこれを、歴史と呼ぶ。 嬉しかった日も、苦しかった日も、誇らしい出来事も、忘れたい出来事も。 すべてが、今につながっている。 吾輩は思う。歴史とは、自慢するためだけでも、恥じるためだけでもないと。 知るためにある。 なぜ今があるのか。なぜこの文化が生まれたのか。なぜ同じ過ちを繰り返してはならないのか。 その答えは、歴史の中に眠っている。 人間は、過去を変えられぬ。 だが、過去から ...
吾輩は猫である ―マイケル・ジャクソン 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 一人が動く。 それだけで、世界中の視線が集まる。 人間はその姿を、Michael Jacksonと呼んだ。 歌い、踊り、魅せる。 その一つ一つが、時代を変えていった。 吾輩は思う。本物とは、真似される者ではないと。 真似したくなる者である。 歩き方も、仕草も、一瞬の静けささえも。 多くの人が追いかけた。 だが、同じにはならぬ。 なぜなら、技術だけではなく、表現そのものが宿っていたからだ。 人間は、完成だけを見る。 だが、その裏には、誰にも見えぬほどの練習と、積み重ねがある ...
吾輩は猫である ―トロフィーラボ 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 棚には、いくつものトロフィーが並ぶ。金色に光り、誇らしげに見える。 人間はここを、トロフィーラボと呼ぶ。 優勝。表彰。記念。 形は違えど、どれも努力の証である。 吾輩は思う。トロフィーとは、ゴールではないと。 手にした瞬間は、確かに嬉しい。だが、喜びは少しずつ日常になる。 残るのは、そこへ至るまでの時間だ。 悩み、挑み、負けて、また立ち上がる。 その積み重ねが、本当の財産である。 人間は、輝くトロフィーを見る。だが、磨かれるのは、人の方である。 挑戦するたびに、少しだけ強 ...
吾輩は猫である ―支持率の真実は? 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 数字が並ぶ。五十。四十。三十。 人間は、支持率と呼ぶ。 最近は、毎日のように変わる。 人間はこれを、世論調査という。 高いから正しい。低いから間違い。 そう単純ではない。 吾輩は思う。支持率とは、社会の「その瞬間」を切り取った一枚の写真なのだと。 昨日と今日で、変わることもある。 出来事が起これば、空気も変わる。 人間は、数字だけを見て安心し、あるいは不安になる。 だが、数字の裏には、理由がある。 誰に聞いたのか。いつ聞いたのか。何を尋ねたのか。 同じ支持率でも、見え方は ...
吾輩は猫である ―消費税1% 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 一という数字は、小さい。 人間は、「たった一%」と言うことがある。 だが、その一%が、国全体を動かすこともある。 人間はこれを、消費税と呼ぶ。 一円、十円、百円。 買い物では、小さな差に見える。 だが、何億、何兆という世界では、重さが変わる。 吾輩は思う。数字とは、大きさだけでは語れぬと。 一%上げれば、税収は増えるかもしれぬ。一方で、買い控えが起きるかもしれぬ。 一%下げれば、家計は助かるかもしれぬ。一方で、財源は減るかもしれぬ。 どちらにも、理由がある。 だから、簡単 ...









