吾輩は猫である。
名前はまだない。
猫の世界には、
契約書がない。
署名も、
印鑑も、
長い条文もない。
それでも、
約束はある。
縄張りは、
足音で伝わる。
距離は、
視線で決まる。
近づく者も、
退く者も、
言葉を使わぬ。
人間は、
契約を紙に書く。
猫は、
空気に書く。
角を曲がる時、
誰が先に進むか。
屋根の上で、
どこまで近づくか。
互いの尾が、
その境界を知っている。
破れば、
すぐわかる。
声が荒れ、
毛が立ち、
関係は崩れる。
守れば、
平穏が続く。
争いは減り、
昼寝の時間が増える。
契約とは、
拘束ではない。
互いの自由を
壊さぬための
静かな線引きだ。
吾輩は猫である。
紙には書かぬ。
だが、
守るべき距離は知っている。
社会とは、
誰も声を上げずに
守り続ける約束なのだ。
距離ひとつ
守れば街は
静かなり