吾輩は猫である。名はまだない。
台所の下の奥深く――その暗がりに、静かに眠る白い袋がある。
「備蓄米」と書かれたその袋は、飼い主が災害用にと買い込んだものらしい。
いつかの地震、どこかの停電。ニュースに触発されては、人間はすぐに米や水を蓄える。だが時間が経てば、安心だけを残して中身のことは忘れてしまう。
吾輩は知っている。3年ものの備蓄米は、もう賞味期限を過ぎている。
それでも捨てられずに棚の奥――まるで、人間の「心配だけして何もしない」性分を象徴しているようだ。
「非常時のために」――立派な言葉だ。だが日々の食卓には出てこず、いつも「今度炊こう」と言われて終わる。
その間に吾輩のカリカリは変わり、パッケージもリニューアルされた。
人間は備えるが、活かさぬ。
学ぶが、忘れる。
災害は定期的に来るのに、危機感の消費期限はもっと短いようだ。
それでも、ある日突然の雨や揺れが来たとき、あの袋が「ここにいる」と声を上げるかもしれぬ。
吾輩なら、そういうときのためにひげを張って、風を読む。
備えるは 使う覚悟と 並びたし
今日も棚の奥で眠る備蓄米に、吾輩はそっとつぶやく。
「おまえも、早う炊かれてこそ、本望やろ?」