吾輩は猫である。名はまだない。
人間たちは、暦を気にする。
年回り、干支、星の並び。
その中でも「丙午」という言葉は、
どこか声を潜めて語られる。
「昔はね、丙午の年に生まれた女の子は――」
そんな話を、吾輩はこたつの中で聞いた。
炎が強すぎるとか、
家を燃やすとか、
随分と大げさな話である。
吾輩は思う。
火は、
使えば温かく、
恐れればただ暗い。
問題は火ではなく、
それを見る目のほうではないか。
丙午の年にも、
朝は来て、
猫は生まれ、
人は笑い、
夕方には夕焼けがある。
特別に悪い日は、
どこにも見当たらぬ。
それでも人は、
見えないものに理由を求める。
不安を暦に預け、
説明を簡単にしたがる。
だが、
生き方は年号では決まらない。
吾輩の隣で、
飼い主がぽつりと言った。
「生まれた年より、
どう生きるかだよね。」
吾輩はしっぽを一度、揺らした。
その通りである。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが、
どんな年に生まれようと、
今日を穏やかに過ごせたなら、
それで十分なのだ。
暦より 今日のひなたを 信じ猫