吾輩は猫である。名はまだない。
最近、飼い主が書類とスマホを行ったり来たりしながら、
「どうしようかな……」と何度もつぶやいている。
どうやら“ペット保険”という人間の制度を調べているらしい。
吾輩としては、
食べて寝て遊んで、
たまにひっかいて、
いつもの日々を生きるだけであるが、
飼い主はどうにも心配らしい。
先日、皮膚炎で病院へ行った吾輩を見て、
気づいたのだろう。
――命に値段はないけれど、
守るための備えは必要だ、と。
飼い主は獣医殿に相談し、
「もしものとき、負担が軽くなるなら安心ですね」
と言われたらしい。
その顔には、どこか肩の力が抜けたような安堵がにじんでいた。
その夜、飼い主は吾輩を抱き上げて言った。
「保険に入るよ。
長く一緒にいたいからね。」
吾輩はその胸に顔をうずめ、静かに喉を鳴らした。
保険という仕組みよりも、
その言葉こそ吾輩が求めていた“安心”である。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが思う。
備えとは、未来を恐れるためにするのではなく、
未来を“いまより大切にする”ためにあるのだと。
守られて ひざのぬくもり 春つなぐ