吾輩は猫である。名はまだない。
それでも、政治には少し興味がある。
いや、正確に言えば、「飼い主の機嫌が家計と連動している」ため、
吾輩にも無関係ではないのだ。
2025年の日本では、選挙のたびに「変えなきゃ」「誰に入れれば…」と
人間たちが眉間にしわを寄せている。
だが、変えることよりも、変わらぬ不信のほうが重くなっているように見える。
官僚、企業、自治体。
それぞれに責任があるが、誰にも責任がない。
首相の言葉は控えめで、野党の声は遠く、
結局、吾輩のエサの値段だけが確実に上がった。
猫の世界では、群れの中に“ボス”がいても、
それは「強いから」ではなく、「面倒を見ているから」尊敬される。
ゴハンのある場所を見つけ、
寒さをしのげる箱を譲る猫が、自然と中心になる。
人間の政治も、
票より“しっぽ一本分”のぬくもりを測ったらどうだろうか?
支配より 寄り添う者が 上座なり
吾輩は今日も、公園のベンチ下で昼寝をする。
傍らには、議席も支持率もない、
だが吾輩に煮干しをくれた老人の手が、静かに置かれていた。