吾輩は猫である。名はまだない。
2025年の日本は、どうやら忙(せわ)しない。
AIが書き、ロボットが運び、冷凍されたラーメンが自動で茹であがる。
猫用の翻訳首輪なるものも登場したが、吾輩は断固として沈黙を守る。
言葉が通じたら、気まぐれがバレてしまうからだ。
人間たちは「物価が高い」と嘆きながらも、
スマートフォンに顔を押し当てて、スワイプで夕飯を決めている。
買えぬのに、欲しがる。
疲れてるのに、動き続ける。
これが2025年という時代の流儀らしい。
大阪では万博の準備が進み、
空には“空飛ぶクルマ”が実証実験をしているとか。
だが、路地裏の空き地は、いつの間にか駐車場になった。
野良仲間の居場所は、Wi-Fiよりも希少だ。
それでも、人間たちのなかには、
スーパーの軒下にキャットフードを置いてくれる者がいる。
公園でひなたぼっこする吾輩に、そっと手を振る子どももいる。
未来とは 温度が残る 手のことか
2025年の日本は、進みすぎて、たまに立ち止まれなくなっている。
だから吾輩は、今日ものんびりと歩く。
せめて猫くらいは、時代に逆らってもいいだろう。