吾輩は猫である。名前はまだない。
吾輩は猫である。
名前はまだない。
夕方になると、
部屋の空気が少し変わる。
光が斜めになり、
音が減る。
人間は、
ピアノの前に座る。
弾く日もあれば、
鍵盤を眺めるだけの日もある。
吾輩は思う。
もしも、
ピアノが弾けたなら——
何を弾くだろうかと。
技巧はいらぬ。
拍手も求めぬ。
ただ、
その日の空気に合う音を、
一つずつ置いていくだけでよい。
強い音は出さない。
正確さにもこだわらない。
間違えたら、
そのまま次へ進む。
音楽とは、
整えることではなく、
受け入れることなのかもしれぬ。
鍵盤は白と黒に分かれているが、
響きは、その間に生まれる。
人の心も、
同じであろう。
やがて、
何も弾かれないまま、
夜になる。
それでも、
部屋は静かに満たされている。
吾輩は猫である。
ピアノは弾けぬ。
だが、
音のいらぬ時間を知っている。
それもまた、
一つの旋律である。
弾かぬ音
夜に残して
猫は寝る