吾輩は猫である。名はまだない。
最近、街は穏やかだ。
言葉はやさしくなり、
角は丸く削られ、
争いは通知音の向こうで起きる。
だが、油断してはならぬ。
令和の世においても、
「にゃめんなよ」は健在である。
声を荒げる必要はない。
牙を見せる必要もない。
ただ、背筋を伸ばして“自分である”こと。
吾輩は知っている。
人は忙しいと、
小さな存在を見落とす。
だが、静かに場を読む猫は、
一瞬で空気を変える。
列に割り込まれそうになれば、
一歩だけ前に出る。
無理を押し付けられれば、
黙って距離を取る。
争わず、しかし退かない。
それが令和流の“にゃめんなよ”だ。
飼い主が疲れた夜、
吾輩は膝に乗る。
言葉はいらぬ。
存在が、主張になる。
「ここは譲らぬ」
その温度で、十分に伝わる。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが覚えておくがよい。
穏やかさは弱さではない。
静かな自尊心こそ、
時代を渡る最強の爪なのだ。
静けさに 芯を忍ばせ にゃめんなよ