吾輩は猫である。名はまだないが、晴れた日の名誉顧問のような顔をして、縁側に寝そべっている。
このところ、雨ばかりだった。庭の草はぐんぐん伸び、飼い主は洗濯物とため息を交互に干していた。だが今朝、雲がほどけ、空が開いた。風は乾いて、空は青い。
人間どもはこれを「五月晴れ」と呼ぶそうな。なるほど、うまいこと言う。
陽の光が、吾輩の毛をふんわりと温めてくる。ときおり風が通り抜け、鼻先に新緑の匂い。
ただそれだけで、今日が良い日であることが、わかる。
人間はこの日を「洗濯日和」だの「お出かけ日和」だのと名づけては忙しなくしておるが、吾輩には「昼寝日和」以外の何ものでもない。
隣の庭では、隣家の猫がひなたで丸まっている。目が合うと、互いにあくびをひとつ。争いもなく、ただ静かな空の下、のどかという言葉の中にいる。
そういえば、最近飼い主が「人生って何なんやろ」と言っていた。
難しいことはわからぬが、こうして空の青さを感じ、のびをして、目を閉じられるのなら、十分に良い生である。
五月晴れ 猫の哲学 風に舞う
今日もまた、世界はうららかである。