吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ― 別姓「磯野一家といえぬ」篇 ―

2025年6月21日

吾輩は猫である ― 別姓「磯野一家といえぬ」篇 ―

吾輩は猫である。名はまだない。
だが毎週日曜夕方、テレビから流れる「さざなみの家族像」には、少々見覚えがある。
磯野、フグ田、波野――名字は違えど、屋根の下に笑顔があった。

だが現実では、「別姓では一家と呼べぬ」と人間たちは言い争っているらしい。
なんでも、苗字が違えば“家族の一体感が壊れる”という。

ふむ、猫には名字もなければ戸籍もない。
だが、においで家族を見分け、
しっぽの動きで感情を読み、
それで充分に“つながって”いるつもりだ。

そもそも、磯野家だって同じ名字ばかりではない。
サザエさんはフグ田だし、ノリスケは波野姓だ。
それでも「一家」だと誰もが思っているではないか。
ならば――“名字”でしか家族を縛れぬ法のほうが不自然ではないか?

猫が人間だったら、こう言うだろう。
「吾輩は“気持ちでつながる”ことに姓はいらぬ」

姓違えど 茶の間で笑う 湯気の中

人間は記号に安心し、記録で愛を量る。
だが猫は、日なたで丸くなる姿を見て“家族”を知る。

吾輩は今日も、表札の違う家々を自由にまたぎ、
それでも「ここが帰る場所」と決めた家で、静かに眠る。


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gonta

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