吾輩は猫である。名はまだないが、両国国技館の裏手で暮らしている。
今日、ひとりの力士が横綱に昇進したらしい。テレビの中では白い綱が締められ、記者の声とフラッシュの嵐。人間はやはり、「強さ」に拍手を送る生き物だ。
「綱を締めるというのはな、ただ強いだけでは務まらん」と、昔、床山の男がつぶやいた。
品格だの、責任だの、たしかに難しい言葉ではあるが、吾輩から見れば、それは“孤独”の言い換えのように思える。
強くなれば、土俵の上では敵しかいない。
勝ち続ければ、敗れたときの声が大きくなる。
人間とは不思議だ。勝者を讃えながら、その背に次の期待と不安を同時に乗せる。
猫ならば、そんな重荷はひょいとどこかへ置いて、屋根の上で寝てしまうのだが。
だがその横綱は、淡々と口上を述べ、目を伏せていた。
吾輩は感じた――その男の中に、揺れぬ芯と静かな覚悟があることを。
それはまるで、百戦錬磨の野良猫が、雨の夜に屋根の下で目を閉じる姿に似ていた。
綱ひとすじ 猫もまた見る 背中越し