吾輩は猫である。名はまだない。
朝のニュースで、飼い主が小さくつぶやいた。
「村山富市さん、101歳で亡くなられたんだって。」
テレビの画面には、
柔らかな笑みを浮かべる老人の姿が映っていた。
「そうじゃのう」
ゆっくりと、しかし確かな重みをもって語るその声を、
吾輩もどこかで聞いたことがある。
災害に寄り添い、戦争を語り継ぎ、
人の痛みに耳を傾けた人だった。
政治の言葉は難しい。
だが、村山という人の言葉には、
理屈よりも“人の温度”があった。
時に批判されても、
自らの信じる道を曲げなかったその背中は、
どこか、陽だまりで眠る猫のように静かで強かった。
吾輩は考えた。
「力」とは怒鳴ることではなく、
「優しさ」を貫く勇気なのかもしれぬ。
外では秋風が吹き、金木犀が香る。
季節がまたひとつ巡っていくように、
人の生もまた、
時の流れの中で記憶として残っていく。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが、あの穏やかな声が、
いつまでもこの国の風に混じって響きますように。
風やさし 声は今なお 秋の空