吾輩は猫である。
名前はまだない。
車が、
勝手に動き始める。
ハンドルが回り、
ブレーキが入り、
するすると枠の中へ収まっていく。
人間はこれを、
自動パーキングと呼ぶ。
なるほど。
便利である。
狭い駐車場。
見えにくい白線。
何度も切り返したくなる場所。
そんな時でも、
機械は淡々と判断する。
吾輩は思う。
人間は、
つい手を離したくなるのだろうと。
「車がやってくれる。」
「センサーが見ている。」
「きっと大丈夫。」
だが、
駐車場には、
予定通りに動かぬものもいる。
子供。
自転車。
買い物カート。
そして、
吾輩たち猫である。
低い位置にいれば、
見えにくい。
物陰から、
突然出ることもある。
機械が賢くなっても、
世界まで機械に合わせて
動いてくれるわけではない。
だから、
任せながらも見る。
周囲を見る。
ミラーを見る。
画面だけではなく、
自分の目でも確かめる。
必要なら、
すぐ止める。
吾輩は思う。
自動とは、
責任まで自動になることではないと。
便利な仕組みは、
人間の負担を減らしてくれる。
だが、
最後に安全を引き受ける者まで
消してはくれぬ。
吾輩は猫である。
駐車はせぬ。
だが、
車が動けば少し離れる。
自動パーキングとは、
運転しなくてよくなる技術ではなく、
人間が余裕を持って周囲を見るための技術なのだ。
自動でも
最後に見るのは
人の目