吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間には、
思い出したくない過去があるらしい。
昔の写真。
昔の文章。
昔の発言。
昔の服装。
できることなら、
全部まとめて箱に入れ、
押し入れの奥へしまいたい。
人間はこれを、
黒歴史と呼ぶ。
吾輩は思う。
ずいぶん大げさである。
その時は、
それなりに真剣だったのではないか。
本人は格好いいと思っていた。
正しいと思っていた。
良かれと思っていた。
ただ、
今の自分から見ると、
少々つらい。
それだけである。
猫にも、
似たような過去はある。
飛べると思って、
少し高すぎる棚へ挑んだ。
失敗した。
何事もなかった顔で、
毛づくろいをした。
人間が見ていたことだけが、
誤算であった。
だが、
猫は引きずらぬ。
昨日転んでも、
今日また跳ぶ。
人間は、
昔の自分に厳しい。
「あんなことを言っていた。」
「あんなものを書いていた。」
「なぜ止めてくれる者がいなかったのか。」
だが、
吾輩は思う。
黒歴史があるということは、
今の自分が、
昔とは少し変わったということでもある。
何も変わっていなければ、
恥ずかしいとも思わぬ。
未熟だった。
思い込みもあった。
格好もつけた。
失敗もした。
その全部を通って、
今がある。
ならば、
完全に消してしまうのも、
少し惜しい。
時々開いて、
「若かったな。」
と笑えるくらいでよい。
ただし、
同じ黒歴史をもう一度作る必要はない。
学ばぬ者の黒歴史は、
歴史ではなく、
連載になる。
吾輩は猫である。
失敗した姿を写真に残されても、
削除依頼は出さぬ。
黒歴史とは、
消すべき過去ではない。
昔の自分から、
今の自分まで、
ちゃんと歩いてきた証なのだ。
黒歴史
笑えた時が
成長期