吾輩は猫である。名はあるが、ここでは呼ばれたくない。
キャリーに入れられ、揺られ揺られて、連れてこられたのは“あの場所”――動物病院である。
入口の空気からして異様だ。消毒薬の匂い、犬の遠吠え、震えるハムスター。
待合室では猫も犬も、人間も皆、目を合わせようとしない。まるで処刑前の沈黙である。
「すぐ終わるからな」
と飼い主が言う。
その“すぐ”が、信用ならぬ。
過去の“すぐ”は注射だったし、もっと前の“すぐ”は去勢だった。
それでも、奥から現れた白衣の者は、妙に優しい声を出す。
「こんにちは〜、〇〇ちゃん♡」
それが余計に恐ろしい。
診察台の上にのせられると、下界がぐらつく。逃げようにも足場がない。
心音が聞こえる。たぶん自分のだ。
ひと刺しのあと、飼い主が頭を撫でる。
「がんばったなあ」
その声に、少しだけ力が抜けた。
終わってみれば、意外と大したことはなかった。
帰りのキャリーの中、吾輩はそっと息をつく。
たまには飼い主の手を信じてもよいのかもしれぬ。
診察台 逃げ腰の尾が 戻るまで
それでも次に“すぐ”と言われたら、やはり全力で隠れるつもりである。