吾輩は猫である。名はまだないが、港町の堤防の上で、今日も風を読んでいる。
最近、この海をめぐって人間たちが騒いでいた。「処理水が放出される」「魚が売れなくなる」――そんな声が飛び交っていた。
だが今は、少し風向きが変わったようだ。
海外の誰それも「問題はない」と言い、学者たちも「科学的に安全」と繰り返す。
それでも、人々の心は数字だけで動くわけではない。海は見えるが、信頼は見えない。
吾輩には、嘘を見抜く術はない。だが、毎日この海を眺めていれば、分かることもある。
海の色も匂いも変わっていない。魚も跳ねている。カモメも群れている。
「科学が正しい」と人間は言うが、「信じるのは、時間だ」と海は答えているようにも思える。
飼い主は、今日もこの町の魚で弁当を作った。
「やっぱりうまいわ」と笑ったその顔に、吾輩はようやく、ほんの少しだけ安心を覚えた。
透明な 水の向こうに 信と技
吾輩は今日も、堤防の上で目を細めている。
科学も、感情も、どちらも大切なのだ。
どちらにも耳を傾けるのが、猫という生き物の流儀である。