吾輩は猫である。
名前はまだない。
若い者は、
最初から何でもできるわけではない。
知らぬ。
迷う。
間違える。
人間はこれを、
若手と呼ぶ。
そして、
少しずつできることが増えていく。
人間はこれを、
成長と呼ぶ。
吾輩は思う。
成長とは、
本人だけの努力ではないと。
任せる者がいる。
見守る者がいる。
失敗した時に、
一緒に直す者がいる。
その環境があって、
ようやく伸びる。
猫も、
子猫の頃から上手に跳べるわけではない。
距離を読み違える。
着地に失敗する。
少し恥ずかしそうな顔をして、
また挑む。
だが、
何度も止められていたら、
いつまでたっても跳べるようにはならぬ。
人間も同じである。
失敗させたくない。
時間がない。
自分でやった方が早い。
そう言って、
全部先輩がやってしまえば、
若手は育たない。
吾輩は思う。
教えるとは、
答えを渡すことではない。
考える材料を渡し、
自分で一歩踏み出させることだ。
もちろん、
放っておけばよいわけでもない。
危ない時は止める。
困っていれば助ける。
だが、
できそうな時は任せる。
その加減が、
難しい。
人間は、
若手に成長を求める。
だが、
成長には時間がいる。
昨日できなかったことが、
今日少しできる。
今日迷ったことを、
明日は自分で決められる。
その積み重ねが、
いつの間にか大きな差になる。
そしてある日、
先輩だった者が気づく。
「あれ、もう任せても大丈夫だな。」
その瞬間が、
本当の成長なのかもしれぬ。
吾輩は猫である。
教育係にはならぬ。
だが、
少し離れた場所から見守ることならできる。
若手成長とは、
未熟な者を早く完成させることではない。
挑戦できる余白を与え、
失敗から学ばせ、
やがて自分で進めるようにすることなのだ。
任せれば
若き一歩が
力増す