吾輩は猫である。名はまだない。
だがこのところ、ヒーローものの映画ばかり見せられている。
特に飼い主が好きなのは、スーパーマン。
「やっぱ正統派って感じで、いいよね〜」
空を飛び、ビルを持ち上げ、正義を貫く男。
だが、ふと気づいた。
――彼は、地球生まれではない。
故郷を失い、宇宙から飛来し、
地球に預けられた小さな命。
彼は“地球人のふり”をして暮らしている。
ふむ。
それって、猫にとっての“人間社会”と、
どこか似ているではないか。
居場所なく 居場所となりぬ 他所の地で
我々猫も、本来は野を歩く存在。
だが今は、家具とWi-Fiに囲まれた世界で生きている。
「うちの子なのよ〜」と笑顔で語られるたびに、
本当の“出自”は薄れてゆく。
スーパーマンは力を持ちながら、
社会の中ではネクタイを締めて控えめに生きている。
それはきっと、“異質である自分”を
馴染ませるためのささやかな仮面だ。
猫も、時にそうである。
甘えるフリ、膝に乗る演出、
スリスリという外交辞令。
でも心のどこかに、
「本当の自分は、ここに属しているのか?」という
小さな違和感が残る。
飼い主は言う。
「スーパーマンって完璧だけど、ちょっと孤独だよね」
――吾輩も、そう思う。
力がある者が強いのではない。
受け入れられて、初めてヒーローになれるのだ。