吾輩は猫である。名は、たぶん「トラ」。
だが本当の名前は、誰も知らぬ。
ある日、飼い主が役所に言った。
「この子の戸籍、取れますか?」
窓口の職員は笑って答えた。
「猫には戸籍、ないんですよ」
――吾輩はそれを聞いて、ふと考えた。
もし、猫にも戸籍があったなら。
本籍:千葉県某市物置下
出生届提出者:野良の母
同居開始:令和元年六月一日、某アパート202号室
転籍:令和三年、都心のペット可マンションへ
世帯主:人間(40歳・会社員)
続柄:愛猫(次男的ポジション)
「別姓」も当然である。
吾輩は“田中トラ”ではなく、
ただの“トラ”で生きたいのだ。
血縁なき 愛と暮らしに 書類なし
近所の「ミケ」は、元同棲猫。
だがいまは別の家の“娘”として登録されているらしい。
我々に「戸籍」があれば、
どれほどの縁が“他人”とされずに済んだだろうか。
飼い主が言う。
「戸籍って、誰かと“つながってる証明”なんだね」
――だとすれば、吾輩の証明は、
食器の横の名入りタグと、夜いっしょに眠るぬくもりだ。
今日も役所の前を通り過ぎる。
中ではたくさんの人が、
“紙でつながる家族”について話し合っている。
吾輩はそれを、
塀の上から見下ろしている。
名はなくとも、ここに生きている記録がある――それだけで、じゅうぶんだ。