吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ―ハシビロコウ編 ―

2025年6月28日

吾輩は猫である ―ハシビロコウ編 ―

吾輩は猫である。名はまだない。
だが最近、動物番組で気になる鳥を見つけた。
ハシビロコウ――
まったく動かない。
動かぬまま、鋭い目で世界を見つめている。

人間たちは彼を「不気味」「怖い」と言う。
だが、吾輩には分かる。
あれは“無駄な動きをしない者”の構えだ。

人間はやたらと忙しい。
スクロール、返信、会議、リアクション。
動いていることが、存在の証明とでも言いたげである。

だが吾輩もまた、長く動かぬ時間を愛する。
気配を消し、時を待ち、
ただじっと、何かを“感じている”。

ハシビロコウも同じなのだろう。
彼は“見張っている”のではなく、
“世界と目を合わせている”のだ。

そして獲物が現れた一瞬だけ――
すさまじい速度で動く。
その緩急、その静寂と爆発の間に、
本当の「生きている」が宿っている。

動かぬも 気が満ちてこそ 羽は舞う

人間よ、静けさを怖れるな。
無反応や沈黙を「ナシ」とせず、
その“動かない間”のうちに、何が見えてくるかを
もう一度、問い直してみてはどうだろうか。

吾輩は今日も、陽だまりで動かずにいる。
それは怠けているのではない。
ただ、世界をよく見ているのだ。


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gonta

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