吾輩は猫である。名はまだない。
だが、ここ数日、町が妙にざわついている。
「また出たらしいよ、熊」
「通学路の近くだって。怖いねえ」
――人間たちが声をひそめるたびに、
パトカーとヘリコプターの音が重なる。
飼い主は玄関の戸締まりを確かめながら言った。
「チョビ、お前も気をつけてな」
吾輩は首をかしげる。
熊と吾輩、似ても似つかぬのに、
同じ“野生”という一括りで語られることもある。
山が痩せてきたのは、知っている。
どんぐりの数も減った。
人間が造成し、柵を立て、
そのくせ、果実を地面に放って帰る。
熊よ熊 お前の罪は 空腹か
街に下りれば“出没”とされ、
追い返されれば飢える。
ただの生活圏の衝突であるはずが、
なぜか“恐怖”と“駆除”に化けてゆく。
吾輩は思う。
もし吾輩が3倍の大きさで、
黒光りする毛並みをしていたら――
果たして、ここで飼われていられたろうか?
飼い主はニュースを見ながらつぶやいた。
「子連れだったのか…。追われるように出てきたんだね」
その目に、少しだけ柔らかさが戻った。
猫と熊は違う。
でも、“誰かを守ろうとして町に出る”
そんな本能だけは、もしかしたら、同じかもしれぬ。
夜、裏山で小枝が折れる音がした。
吾輩は耳を澄まし、静かに目を閉じた。
眠る町に、境界はない。
命たちは、今夜もどこかですれ違っている。