吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ―握り寿司 編―

2025年8月14日

吾輩は猫である ―握り寿司 編―

吾輩は猫である。名はまだない。
だが、寿司には一家言ある。

かつて、路地裏の寿司屋に迷い込んだことがある。
「江戸前の粋ってやつを、知ってみたい」と思ったからだ。
カウンターの檜の香り、
職人の手元から舞う白い湯気、
そして、目の前に置かれたのは――赤身の握り。

静かだった。
客は誰もしゃべらない。
シャリの湯気と、炙りの煙だけが語っていた。

飼い主は言う。
「猫が寿司なんて…冗談でしょ?」

違うのだ。
我々猫族は、本能的に“良い魚”を知っている。
脂の乗り、酢飯の温度、
あの一貫に込められた「沈黙の技術」に、
胸が打たれるのである。

炙りトロの香ばしさに目を細め、
穴子の煮詰めにうっとりし、
時にはガリで口直しをする――
(いや、正直ガリはあまり好きではないが、雰囲気で食べている)

そして、最後のタマゴ。
これは寿司職人の名刺のようなもの。
しっとり甘く、どこか懐かしい。
それを舌に乗せた瞬間、
吾輩は確信した。

「この店は、信頼できる」

猫にとって寿司とは、ただのご馳走ではない。
魚と米と技の三重奏、そして、
静かなる対話の場なのだ。

今日もまた、
寿司屋の裏口にちょこんと座る吾輩を見かけたら、
どうか一貫、分けてほしい。
タマゴで、いい。


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gonta

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