吾輩は猫である。名はまだない。
けれど、遠いロシアに友がいる。
その猫の名は、ミーシャ。
分厚い毛皮をまとったシベリア猫で、
飼い主が翻訳家だった縁で、
画面越しに吾輩と出会った。
時差をまたぎ、
Zoomの背景には雪原とストーブ、
こちらは縁側とみかん。
ミーシャは流暢な「にゃー」を話すが、
吾輩は関西弁交じりで「にゃあやで」と返す。
言葉は通じぬ。
でも、猫同士、言葉などいらぬ。
ただ、しっぽの動きと目の合図でわかり合う。
ミーシャの飼い主は、時折こんなことを言った。
「人間同士は争っても、猫は仲良くできるね」
吾輩も頷いた。
猫は領土を持たぬ。
争いを好まぬ。
眠る場所がありゃ、それでいいのだ。
ある冬の日、
ミーシャが画面に現れなかった。
翻訳家の声も、もう聞こえない。
ただ、その家の窓辺に、
吾輩にそっくりな招き猫が置かれていた。
きっと、誰かが記憶を飾ってくれたのだろう。
吾輩は今日も画面の前で、
雪の向こうにいるかもしれぬ友に向かって、
そっとしっぽを振る。
吾輩は猫である。
名はなくとも、友情は越境する。