吾輩は猫である。名はまだない。
最近、人間たちは何かと「AI」に頼りすぎている。
料理の献立も、旅行の計画も、さらには恋文の文案までも。
飼い主がスマホに向かって「晩ごはんは?」と尋ねると、
画面が即座に答えを返す。
吾輩はそれを横で見ながら首を傾げる。
「魚を見ればにゃあと鳴く」――猫の判断は単純明快である。
しかし人間は、AIの提案にうなずきながらも、
どこか落ち着かぬ様子である。
考えてみれば当然だ。
AIは賢いが、匂いも温もりも知らぬ。
カリカリを前にしたときの胸の高鳴りや、
日向ぼっこの心地よさは計算できぬ。
それを忘れ、便利さにすべてを委ねれば、
人間自身の感覚は鈍ってしまうだろう。
吾輩は窓辺で目を細め、
「AIよ、主役はあくまで人間だぞ」と心の中で呟いた。
使いすぎず、頼りすぎず。
猫の毛づくろいのように、ほどほどが一番なのだ。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが今日も飼い主の横で考える――
AIは道具、人生を決めるのは己の心であると。
AIも 使いすぎれば 迷子かな