吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ― 動物愛護とは 編―

2025年11月2日

吾輩は猫である ― 動物愛護とは 編―

吾輩は猫である。名はまだない。

近ごろ、人間たちは「動物愛護」という言葉をよく使う。
ポスターが貼られ、募金箱が並び、
「殺処分ゼロ」「共生社会」などの声が街にあふれている。

けれど吾輩は考える。
愛護とは、守られることか?
それとも、同じ目線で生きることか?

吾輩の仲間の中には、
首輪をして、やさしく撫でられて眠る者もいれば、
冷たい路地で雨を避けながら夜を過ごす者もいる。
どちらが幸せかは、きっと誰にも決められぬ。

人間は「かわいそう」と言って拾い上げるが、
本当の優しさとは、
相手を思いどおりにすることではなく、
生き方を尊重することなのだと思う。

飼い主が吾輩に話しかける。
「おまえは幸せか?」
吾輩は返事をしない。
ただ、陽の当たる窓辺で丸くなる。
それが吾輩の答えだ。

愛護とは、言葉ではなく、
手のぬくもりと、沈黙のあいだにあるもの。

吾輩は猫である。名はまだない。
だが、愛されるよりも、
“共に生きる”ことを願っている。

撫でる手に 祈りを添えて 春の陽


スポンサーリンク

  • この記事を書いた人

gonta

-吾輩は猫である(現代編)