吾輩は猫である。名はまだない。
近ごろ、人間たちは「動物愛護」という言葉をよく使う。
ポスターが貼られ、募金箱が並び、
「殺処分ゼロ」「共生社会」などの声が街にあふれている。
けれど吾輩は考える。
愛護とは、守られることか?
それとも、同じ目線で生きることか?
吾輩の仲間の中には、
首輪をして、やさしく撫でられて眠る者もいれば、
冷たい路地で雨を避けながら夜を過ごす者もいる。
どちらが幸せかは、きっと誰にも決められぬ。
人間は「かわいそう」と言って拾い上げるが、
本当の優しさとは、
相手を思いどおりにすることではなく、
生き方を尊重することなのだと思う。
飼い主が吾輩に話しかける。
「おまえは幸せか?」
吾輩は返事をしない。
ただ、陽の当たる窓辺で丸くなる。
それが吾輩の答えだ。
愛護とは、言葉ではなく、
手のぬくもりと、沈黙のあいだにあるもの。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが、愛されるよりも、
“共に生きる”ことを願っている。
撫でる手に 祈りを添えて 春の陽