吾輩は猫である。名はまだない。
十二月のある日、
飼い主がダイニングテーブルいっぱいに書類を広げていた。
「生命保険料控除証明書」「住宅ローン」「扶養」――
人間とは、どうしてこうも複雑な紙を愛するのか。
吾輩はその真ん中に座り、
飼い主の視線を遮るように丸くなった。
「ちょ、ちょっと!そこは源泉徴収票!」
ふむ。だからこそ、守ってやらねばならぬ。
飼い主はため息をつきながら言う。
「年末調整が終わらない……」
吾輩は尻尾をゆっくり左右に振った。
焦って書くと失敗する。
それはトイレの砂かけと同じ理屈である。
ときおり飼い主は
「配偶者控除……?」「社会保険料……?」
などと呟き、書類の迷宮に迷い込んでいた。
吾輩は思った。
人間も猫も、年の瀬になると落ち着かぬものだ。
ようやく提出用の封筒が完成し、
飼い主は「終わったあああ!」と崩れ落ちた。
吾輩はその膝にのり、
“よく頑張った”という意味で喉を鳴らしてやった。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが思う。
年末調整とは、書類の山を越えた者にだけ
一息つく冬のご褒美なのだろう。
紙山を 越えて迎える 冬の灯