吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間は、
時々ずいぶん不思議なことをする。
何万字も書く。
何度も直す。
削っては戻し、
戻してはまた削る。
ようやく完成すると、
今度はそれを知らない人に送りつけ、
評価してもらおうとする。
人間はこれを、
文学賞への挑戦と呼ぶ。
なかなか勇気のいる遊びである。
書いている間は、
自分だけの世界だ。
登場人物を歩かせ、
泣かせ、
笑わせ、
時には死なせる。
作者は、
ほとんど神である。
ところが応募した瞬間、
急に弱くなる。
一次選考。
二次選考。
最終候補。
発表日。
それまで神だった人間が、
一つの一覧表を前にして、
祈り始める。
吾輩は思う。
実に面白い。
結果発表の日など、
何度も同じページを開く。
名前がない。
もう一度見る。
やはりない。
念のため、
別の場所も見る。
ないものは、
何度見てもない。
そこで人間は言う。
「見る目がない。」
しばらくすると言う。
「いや、冒頭が弱かったか。」
さらに翌日には、
「やっぱり、この作品は別の賞向きだった。」
立ち直りは、
案外早い。
それでよい。
文学賞とは、
正解を当てる試験ではない。
審査員が変われば、
評価も変わる。
時代が変われば、
読まれ方も変わる。
同じ作品でも、
ある人には届き、
別の人には届かぬ。
だからこそ、
厄介である。
そして、
面白い。
吾輩は思う。
落選とは、
作品そのものを否定されたことではない。
少なくとも、
その門からは入れなかった。
ただ、それだけである。
猫も、
閉じた扉の前では一度止まる。
開かなければ、
横を見る。
窓を見る。
別の扉を見る。
それでも駄目なら、
しばらく昼寝をする。
そして、
また歩く。
人間も、
それくらいでよい。
大切なのは、
一度落ちた作品を抱えて、
ずっと玄関で鳴き続けることではない。
直すのか。
別の場所へ出すのか。
新しい作品を書くのか。
自分で決めればよい。
文学賞へ応募すると、
作品だけでなく、
書いた本人まで試される。
評価されなくても、
書き続けられるか。
誰にも読まれなくても、
次の一行を書けるか。
そこに、
作家というものの正体が
少し見える気がする。
そして時々、
奇跡のように名前が残る。
その瞬間、
何万字もの苦労が、
たった二文字に変わる。
「通過」。
人間は、
それだけで酒を飲めるらしい。
安上がりなのか、
高くついた酒なのか、
吾輩には分からぬ。
吾輩は猫である。
文学賞には応募せぬ。
だが、
誰にも頼まれていない物語を書き、
落ちてもまた書こうとする人間を見ていると、
少しだけ羨ましくなる。
文学賞への挑戦とは、
賞を取るためだけの戦いではない。
自分の中に生まれた物語を、
知らない誰かのところまで届けようとする、
少し無謀で、
かなり真面目で、
とても人間らしい挑戦なのだ。
落ちたなら
次の一作
猫は書け