【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―文学賞への挑戦 編―

2026年9月7日

吾輩は猫である ―文学賞への挑戦 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間は、
時々ずいぶん不思議なことをする。

何万字も書く。

何度も直す。

削っては戻し、
戻してはまた削る。

ようやく完成すると、
今度はそれを知らない人に送りつけ、
評価してもらおうとする。

人間はこれを、
文学賞への挑戦と呼ぶ。

なかなか勇気のいる遊びである。

書いている間は、
自分だけの世界だ。

登場人物を歩かせ、
泣かせ、
笑わせ、
時には死なせる。

作者は、
ほとんど神である。

ところが応募した瞬間、
急に弱くなる。

一次選考。

二次選考。

最終候補。

発表日。

それまで神だった人間が、
一つの一覧表を前にして、
祈り始める。

吾輩は思う。

実に面白い。

結果発表の日など、
何度も同じページを開く。

名前がない。

もう一度見る。

やはりない。

念のため、
別の場所も見る。

ないものは、
何度見てもない。

そこで人間は言う。

「見る目がない。」

しばらくすると言う。

「いや、冒頭が弱かったか。」

さらに翌日には、

「やっぱり、この作品は別の賞向きだった。」

立ち直りは、
案外早い。

それでよい。

文学賞とは、
正解を当てる試験ではない。

審査員が変われば、
評価も変わる。

時代が変われば、
読まれ方も変わる。

同じ作品でも、
ある人には届き、
別の人には届かぬ。

だからこそ、
厄介である。

そして、
面白い。

吾輩は思う。

落選とは、
作品そのものを否定されたことではない。

少なくとも、
その門からは入れなかった。

ただ、それだけである。

猫も、
閉じた扉の前では一度止まる。

開かなければ、
横を見る。

窓を見る。

別の扉を見る。

それでも駄目なら、
しばらく昼寝をする。

そして、
また歩く。

人間も、
それくらいでよい。

大切なのは、
一度落ちた作品を抱えて、
ずっと玄関で鳴き続けることではない。

直すのか。

別の場所へ出すのか。

新しい作品を書くのか。

自分で決めればよい。

文学賞へ応募すると、
作品だけでなく、
書いた本人まで試される。

評価されなくても、
書き続けられるか。

誰にも読まれなくても、
次の一行を書けるか。

そこに、
作家というものの正体が
少し見える気がする。

そして時々、
奇跡のように名前が残る。

その瞬間、
何万字もの苦労が、
たった二文字に変わる。

「通過」。

人間は、
それだけで酒を飲めるらしい。

安上がりなのか、
高くついた酒なのか、
吾輩には分からぬ。

吾輩は猫である。
文学賞には応募せぬ。

だが、
誰にも頼まれていない物語を書き、
落ちてもまた書こうとする人間を見ていると、
少しだけ羨ましくなる。

文学賞への挑戦とは、
賞を取るためだけの戦いではない。

自分の中に生まれた物語を、
知らない誰かのところまで届けようとする、
少し無謀で、
かなり真面目で、
とても人間らしい挑戦なのだ。


落ちたなら
次の一作
猫は書け

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gonta

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