【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―猫甲子園編―

2026年9月8日

吾輩は猫である ―猫甲子園編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

夏になると、
人間は白い球を追いかける。

土の上を走り、
汗を流し、
一球に声を張る。

人間はこれを、
甲子園と呼ぶ。

勝てば、
次がある。

負ければ、
その夏は終わる。

実に、
分かりやすい。

吾輩は思う。

だからこそ、
人間はあれほど夢中になるのだろうと。

いつまでも続くものなら、
一球の重さは薄くなる。

だが、
終わりがあると分かっているから、
全力で走る。

猫なら、
暑い昼間に走り回ることなど、
まずしない。

日陰へ行く。

水を飲む。

涼しくなるまで、
じっと待つ。

甲子園球児には、
到底向いていない。

だが、
一つだけ分かることがある。

仲間と一緒に、
同じものを追いかける時間は、
勝敗だけでは測れない。

打てなかった球。

取れなかった打球。

届かなかった一歩。

その悔しさも、
後になれば、
自分の一部になる。

人間は、
優勝校を覚える。

だが、
選手本人に残るのは、
もっと細かな記憶なのだろう。

朝早く起きたこと。

泥だらけになったこと。

仲間に助けられたこと。

最後に見上げた空。

それら全部が、
その人だけの甲子園になる。

吾輩は思う。

青春とは、
勝った者だけにあるものではない。

負けて泣いた者にも、
ベンチで声を出した者にも、
最後まで試合に出られなかった者にもある。

結果は一つ。

だが、
夏の記憶は、
人数分だけある。

吾輩は猫である。
甲子園には出ぬ。

だが、
一つの球に、
仲間と時間と夢を詰め込む人間たちを見ていると、
少しだけ胸が熱くなる。

猫甲子園とは、
勝者を決める場所ではない。

限られた夏の中で、
どこまで自分たちらしく走り切れるかを、
確かめる場所なのだ。


白球に
それぞれの夏
宿りけり

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gonta

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