吾輩は猫である。
名前はまだない。
最近、
海の向こうで、
また二人の人間が会うかもしれないという。
アメリカの大統領と、
北朝鮮の最高指導者。
人間はこれを、
米朝首脳会談と呼ぶ。
以前にも、
二人は会った。
握手をした。
笑顔を見せた。
世界中のカメラが、
その一瞬を追いかけた。
吾輩は思う。
人間は、
握手が好きである。
猫なら、
いきなり前足を差し出されたら、
まず警戒する。
少し離れる。
匂いを見る。
相手の目を見る。
それから、
近づいてよい相手かを決める。
どうやら外交も、
それほど違わないらしい。
アメリカは、
核兵器を減らしてほしい。
北朝鮮は、
自分たちの安全を保証してほしい。
互いに、
相手が先に動けと言う。
なかなか進まない。
吾輩は思う。
「お前が爪を引っ込めたら、
こちらも爪を引っ込める。」
猫同士でも、
これでは永遠に終わらぬ。
だが、
会うことに意味がないわけではない。
会わずに疑うより、
会って話す。
遠くから威嚇するより、
同じ机に座る。
それだけでも、
一歩ではある。
ただし、
会ったことを成果にしてはならぬ。
握手した。
写真を撮った。
仲が良いと言った。
それだけで核兵器が消えるなら、
人間の世界はずいぶん簡単である。
本当に難しいのは、
会談の後だ。
約束を守る。
相手にも守らせる。
確かめる。
違えば、
また話す。
外交とは、
一度の劇的な場面ではなく、
面倒な確認を何度も繰り返す仕事なのだろう。
吾輩は猫である。
猫同士にも、
縄張りはある。
気に入らぬ相手もいる。
時には、
睨み合う。
だが、
毎回本気で噛みついていては、
昼寝をする暇がない。
だから、
どこまで近づくかを決める。
どこから先には入らぬかを決める。
そして、
互いに少しずつ暮らせる距離を探す。
国と国も、
案外それでよいのではないか。
米朝首脳会談とは、
二人の指導者が仲良くなるための行事ではない。
核も、
制裁も、
安全保障も、
簡単には消えぬ中で、
それでも、
話す方を選べるか。
その確認をする場所なのだ。
吾輩は猫である。
首脳にはならぬ。
だが、
爪を立てたままでも、
少しずつ距離を縮めることはできると知っている。
平和とは、
仲良しになることではない。
嫌いな相手とも、
噛みつかずに済む距離を
探し続けることなのかもしれぬ。
爪立てて
それでも話す
知恵を持て