【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―誕生日イベント 編―

2026年9月14日

吾輩は猫である ―誕生日イベント 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間には、
他人の誕生日を、
自分のことのように楽しみにする習性がある。

しかも、
わざわざチケットを申し込み、
当選を祈り、
その日まで指折り数える。

人間はこれを、
誕生日イベントと呼ぶ。

吾輩は思う。

誕生日とは、
本人が一つ歳を重ねる日ではなかったか。

なぜ、
周りの人間までこんなに嬉しそうなのだろう。

会場へ行く。

席を探す。

開演を待つ。

そして、
本人が姿を見せた瞬間、
大きな拍手が起こる。

「おめでとう。」

たった一言のために、
これほど多くの人間が集まる。

なかなか悪くない。

人間は、
年齢を重ねることを嫌がる時がある。

若く見られたい。

歳を取りたくない。

そんなことを言う。

だが、
誕生日イベントでは違う。

一年を重ねたことそのものを、
皆で祝う。

吾輩は思う。

歳を取るとは、
減っていくことではない。

一年分の経験が、
増えることでもあるのだと。

楽しかった日。

苦しかった日。

頑張った日。

何もしたくなかった日。

その全部を連れて、
次の誕生日へ来る。

そして、
応援している人間たちにも、
それぞれの一年がある。

去年とは違う仕事をしている者。

家族が増えた者。

何かに挑戦している者。

少し疲れている者。

それでも、
この日だけは同じ場所に集まる。

不思議なものである。

吾輩なら、
誕生日だからといって
大勢に囲まれたいとは思わぬ。

特別なおやつをもらい、
少し長く撫でてもらい、
あとは静かに眠りたい。

だが、
人間は思い出を共有したがる。

写真を撮る。

拍手をする。

言葉を交わす。

そして帰り道に、
「来年も行けたらいいな」と言う。

そこまで含めて、
誕生日イベントなのだろう。

吾輩は猫である。
イベントには参加せぬ。

だが、
誰かが生まれた日を、
何年経っても大勢が喜んでくれるというのは、
少し羨ましい。

誕生日イベントとは、
一人の一年を祝うだけではない。

「今年も会えたね」と、
お互いが過ごしてきた一年を
静かに確かめる日なのだ。


また会えた
それが何より
誕生日

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gonta

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