【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―女性棋士誕生なるか 編―

2026年10月21日

吾輩は猫である ―女性棋士誕生なるか 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

将棋の世界には、
少し分かりにくい言葉がある。

棋士。

そして、
女流棋士。

どちらも将棋を仕事にする。

だが、
同じ制度ではない。

そしてこれまで、
「棋士」になった女性は、
一人もいない。

人間はこれを、
女性棋士誕生なるか、
と騒いでいる。

その扉の前に、
西山朋佳という人間がいる。

実は、
初めてではない。

二〇二五年。

棋士編入試験。

三勝すれば、
棋士。

西山は二勝した。

そして、
最後の一局に敗れた。

二勝三敗。

あと一勝。

扉の前まで行き、
開かなかった。テレ朝NEWS

吾輩は思う。

あと一勝というのは、
ずいぶん残酷な距離である。

遠ければ、
諦めもつく。

だが、
手を伸ばせば届きそうな場所で終わると、

「あの一手が。」

「あの一局が。」

いつまでも残る。

猫なら、
届かなかった棚を、
しばらく下から眺める。

そして、
たぶんまた跳ぶ。

人間も、
似たようなものらしい。

将棋界にはその後、
新しい道ができた。

女流最高位の白玲を、
通算五期獲得する。

クイーン白玲になる。

すると、
棋士になる資格を得られる。日刊スポーツ

そして今、
西山白玲は通算四期。

あと一回、
白玲を獲得すればよい。

二〇二六年の白玲戦。

相手は、
福間香奈女流四冠。

こちらも、
女流棋界を長く引っ張ってきた強者である。

第3局を終えて、
西山の二勝一敗。

あと二勝で、
防衛。

そして、
歴史が動く可能性がある。熊日電子版|熊本日日新聞社

吾輩は思う。

「女性だから棋士になってほしい」

だけでは、
少し違う。

盤の上では、
男も女もない。

王将は一枚。

飛車も一枚。

九×九の八十一マスは、
誰に対しても同じである。

だからこそ、
女性が初めて棋士になるという出来事にも、
意味がある。

特別扱いされて勝つのではない。

積み重ねた勝負の先で、
それまで誰も越えられなかった線を越える。

そこに価値がある。

だが吾輩は、
もう一つ思う。

最初の一人は、
大変である。

勝てば、

「女性初。」

負けても、

「女性だから。」

何をしても、
性別がついて回る。

本人は、
ただ将棋を指しているだけかもしれないのに。

本当の意味で壁がなくなるのは、

二人目。

三人目。

そして、
誰も「女性棋士」と呼ばなくなった時なのかもしれぬ。

猫の世界では、

雄猫棋士。

雌猫棋士。

などとは呼ばない。

強い猫は、
強い猫である。

もっとも、
吾輩は将棋盤の上に乗って、
対局を中断させる方が得意だが。

吾輩は猫である。

歴史が変わる瞬間というものは、
後から見ると大きい。

だが、
その瞬間を生きている本人にとっては、

次の一局。

次の一手。

ただそれだけなのだろう。

女性棋士誕生なるか。

答えは、
まだ出ていない。

だからこそ、
面白い。

西山朋佳は、
一度閉じた扉の前へ、
別の道を通って戻ってきた。

今度こそ開くのか。

それとも、
また将棋の神様が簡単には通してくれないのか。

吾輩は静かに、
盤の外から見ていようと思う。

歴史とは、
「女性初」という言葉から始まり、

いつか、
その言葉が必要なくなるところまで進んで、
初めて完成するものなのだから。


あと二勝
「女性初」が
消える未来

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gonta

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