吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間は、
家族というものを
ずいぶん大切にする。
親。
子。
兄弟。
そして、
血のつながり。
だが、
血がつながっていなくても、
家族になることがある。
人間はこれを、
養子と呼ぶ。
吾輩は思う。
少し不思議である。
生まれた場所は違う。
最初から一緒だったわけでもない。
それでも、
「今日から家族です。」
と言う。
人間は、
なかなか大胆である。
猫の場合、
もっと自然だ。
ある日、
知らない家へ連れてこられる。
最初は隠れる。
知らない匂い。
知らない声。
知らない寝床。
ここは、
どこなのだ。
だが、
毎日飯が出る。
名前を呼ばれる。
撫でられる。
具合が悪ければ、
病院へ連れて行かれる。
そして、
いつの間にか思う。
ここが、
吾輩の家なのだと。
誰から生まれたかなど、
考えたこともない。
吾輩は思う。
家族とは、
血で決まるものなのだろうか。
一緒に飯を食べる。
帰りを待つ。
心配する。
叱る。
笑う。
困った時には、
そばにいる。
そういう時間が積み重なって、
家族になるのではないか。
もちろん、
養子になれば、
すべてが簡単に解決するわけではない。
過去が消えるわけでもない。
生みの親への思い。
育ての親への思い。
自分はどこから来たのか。
人間には、
猫よりずっと多くのことを考える頭がある。
便利なようで、
なかなか大変である。
だからこそ、
家族になるということは、
一度の手続きだけでは終わらないのだろう。
毎日、
「あなたはここにいてよい。」
と伝え続ける。
それが、
家族をつくるのかもしれぬ。
吾輩は猫である。
血統書があろうが、
なかろうが、
腹が減れば同じように鳴く。
高価な猫でも、
拾われた猫でも、
安心できる膝の上では同じように丸くなる。
養子とは、
血のつながりがない家族ではない。
血とは別のところから、
時間と信頼を重ねてつくっていく家族なのだ。
そして、
家族とは、
生まれた場所より、
最後に「帰りたい」と思える場所で決まるのかもしれない。
血よりなお
日々のぬくもり
家族なり