吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間の中には、
あることを、
妙に早く理解する者がいる。
数字。
言葉。
音。
記憶。
仕組み。
人間はこれを、
ギフテッドと呼ぶ。
贈り物。
なんとも、
きれいな名前である。
吾輩は思う。
ならば、
さぞ本人は楽なのだろうと。
勉強は分かる。
覚えるのも早い。
難しいことも、
すぐ理解する。
うらやましい。
人間は、
そう思うことがある。
だが、
どうやら話は、
それほど単純ではないらしい。
分かりすぎる。
気づきすぎる。
周囲がまだ考えていないところまで、
先に考えてしまう。
そして、
「なぜ、みんな分からないのだろう。」
と思う。
逆に周囲からは、
「なぜ、そんなことを気にするのだろう。」
と思われる。
吾輩は思う。
能力が高いことと、
生きやすいことは、
同じではないのだと。
猫にも、
高い所へ簡単に登れる者がいる。
だが、
登れたからといって、
いつもそこが居心地よいとは限らない。
高く登れば、
見えるものも増える。
見えなくてもよかったものまで、
見えることもある。
人間は、
才能を見つけると、
伸ばそうとする。
もっと。
もっと。
せっかくできるのだから。
だが、
本人が欲しいのは、
さらに高い課題とは限らない。
同じ話をできる相手。
分からないと言ってもよい場所。
失敗しても、
「意外だね」と言われない環境。
そんなものかもしれぬ。
吾輩は思う。
ギフテッドという言葉も、
便利である。
だが、
言葉を貼った瞬間に、
「この子は特別。」
「何でもできる。」
と決めてしまえば、
また別の檻になる。
人間は、
分類すると安心する。
だが、
分類された側まで、
その通りに生きる必要はない。
得意なものがあってもよい。
苦手なものもあってよい。
早く進めるところもあれば、
ゆっくり育つところもある。
それで、
一人の人間なのである。
吾輩は猫である。
ネズミ捕りの才能があるかどうかは、
試したことがない。
だが、
得意なことだけで、
その者すべてを決めてはいけないことくらいは分かる。
ギフテッドとは、
特別に優れた人間という称号ではない。
少し違う見え方や、
少し違う学び方を持つ者が、
その違いを無理に隠さず、
自分らしく育っていけるようにするための言葉なのだ。
才ひとつ
人のすべてを
決めはせぬ