吾輩は猫である。名はまだない。
だが、今日は名を呼ばれることもない日である。
8月15日、終戦記念日。
蝉の声がけたたましく、
だが町は、いつもより静かである。
飼い主の祖母は朝から仏壇に向かい、
線香を焚き、ラジオをつける。
「黙祷」――その声に、吾輩も動きを止める。
昔、祖母が言った。
「この家には、戻らなかった誰かがいた」
写真も、名前も、声ももう知らぬけれど、
その“誰か”を毎年思い出す日が今日なのだと。
吾輩の祖先もまた、
焼け野原を彷徨ったかもしれぬ。
防空壕に潜り、
疎開先で新しい子猫を産み、
人とともに、生き延びたかもしれぬ。
戦争を知らぬ吾輩だが、
戦争を語る空気は知っている。
朝のテレビが静まり、
老いた手がそっと写真を撫でる。
その沈黙が、歴史そのものである。
飼い主の子どもが、
「なんで黙るの?」と訊く。
祖母は優しく答える。
「大切なものを、失わないためよ」
吾輩は思う。
戦争とは、名もない者たちが消えていくこと。
そして、記憶されないこと。
吾輩は猫である。
だが今日ばかりは、
名もなく消えたすべての命のために、
そっと目を閉じる。
蝉の声が続く。
風鈴が揺れる。
それでも――世界は、平和であれと願う。