吾輩は猫である。名はまだない。
だが、雷門をくぐれば人波に押され、
どこからともなく笛と太鼓と歌声が響いてくる。
今日は「サンバカーニバル」の日らしい。
大通りはまるで南国の舞台。
羽根飾りを背負った踊り子たちが、
眩しいほどの笑顔でステップを刻む。
人々は声を合わせ、手を振り、
熱気が路面を震わせていた。
吾輩はといえば、提灯の影に身を潜め、
その光景を目を細めて眺める。
猫にサンバは無縁と思われがちだが、
実のところ、このリズムは心地よい。
しっぽが自然と揺れ、
肉球で小さく「タタ、タタ」と刻んでしまうのだ。
観客の少女が吾輩を見つけて、
「ねこも踊ってる!」と笑った。
気づけば、周りからも「サンバにゃん!」と囃し立てられる。
――なるほど、祭りとは誰もが主役になれる場らしい。
空を仰げばスカイツリーが遠くに輝き、
風に乗って甘い人形焼きの香りが流れてきた。
吾輩はそれを深く吸い込み、胸をふくらませる。
名はなくとも、ここに生き、ここで踊る。
それで十分だ。
祭りの行列が過ぎ去り、
通りに夕暮れの静けさが戻る。
吾輩はゆっくりと伸びをして歩き出した。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが今宵だけは――
サンバのリズムを知る、浅草の無名の踊り子であった。