【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―ブタの腎臓移植 編―

2026年10月9日

吾輩は猫である ―ブタの腎臓移植 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間は、
腎臓が悪くなると、
別の人間から腎臓をもらうことがある。

ところが、
提供できる腎臓は足りない。

待つ。

透析を続ける。

それでも、
順番が回ってこない人がいる。

そこで人間は、
とうとう別の動物に目を向けた。

ブタである。

人間はこれを、
異種移植と呼ぶ。

吾輩は思う。

ずいぶん思い切ったことをする。

昨日まで、

豚肉。

とんかつ。

生姜焼き。

などと言っていた相手から、
今度は腎臓まで借りようというのである。

ブタも、
なかなか忙しい。

もっとも、
普通のブタの腎臓を、
そのまま人間へ移せるわけではない。

人間の体は、
「これは自分ではない」と判断すると、
猛烈に追い出そうとする。

そこで、
遺伝子を変える。

人間の体になじみやすくする。

拒絶反応を抑える薬も使う。

人間は、
とうとう命の設計図にまで手を入れて、
臓器不足という難題へ挑んでいる。

そして、
実際に人間の体の中で、
ブタの腎臓が働くところまで来た。

尿をつくる。

血液をろ過する。

透析なしで暮らす。

かつてなら、
空想のような話である。

だが、
もう完全な空想ではない。

吾輩は思う。

医療とは、
「できない」を少しずつ減らしていく仕事なのだと。

ただし、
夢の技術と呼ぶには、
まだ早い。

拒絶反応は起こり得る。

感染症の心配もある。

どの遺伝子を、
どこまで変えるのか。

そして、
移植のために動物を育てることを、
人間はどう考えるのか。

技術が進めば進むほど、
新しい問いも増える。

吾輩は思う。

人間は不思議である。

命を救うためなら、
命そのものの境界まで越えようとする。

人から人へ。

そして、
動物から人へ。

いつか、
人工臓器や再生医療が進めば、
また別の方法になるかもしれない。

だが、
今この瞬間にも、
腎臓を待っている人がいる。

その人にとっては、
十年後の完璧な技術より、
今日使える一つの可能性の方が大切なこともある。

猫にも、
腎臓は大切である。

吾輩たちは、
年を取ると腎臓の病気と付き合うことも多い。

だから、
腎臓が働いてくれるありがたさは、
少しくらい分かる。

普段は、
存在すら意識しない。

だが、
働かなくなった瞬間、
命そのものを支えていたことに気づく。

人間とは、
いつもそうである。

失ってから、
当たり前の価値を知る。

吾輩は猫である。
ブタの腎臓をもらう予定はない。

だが、
誰かの命をつなぐために、
種という境界まで越えようとする人間の執念には、
少し驚いている。

ブタの腎臓移植とは、
ただ新しい臓器を手に入れる技術ではない。

「命を救うためなら、どこまでできるのか。」

そして、

「できることを、どこまでしてよいのか。」

その二つを、
同時に人間へ問いかける技術なのだ。


種を越えて
つなぐ命に
問う命

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gonta

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