吾輩は猫である。名はまだない。
この地は立山。
空に手が届くほどの峰々が、
静かに白い息を吐いている。
山の風は冷たく、
けれどどこか懐かしい匂いがする。
吾輩は、山小屋の縁側で暮らしている。
登山客が通るたびに、
「猫がいるぞ!」と声を上げる。
だが吾輩にとっては、
この山こそがふるさとであり、寝床であり、世界のすべてである。
朝は雲海の上に陽が昇る。
鳥が鳴き、雪解けの水が音を立てて流れる。
夜は星が近く、風が遠い昔の声を運んでくる。
この山には、神が宿るという。
なるほど、そうかもしれぬ。
人も猫も、その神のまなざしの中で
ほんの短い時間を生かされているのだ。
時折、吾輩はホテル立山の裏手まで歩く。
観光客の笑い声、温かな灯り、
そして立山の影が長く伸びる黄昏。
その静けさの中に、
山と人の共存という不思議な調和がある。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが、ここに吹く風の音を聞いていると、
生きることの意味が少しだけ分かる気がする。
雲の上 猫も祈りて 春を待つ