吾輩は猫である。名はないが、名は神のみぞ知る。
ここはヴァチカン。大理石の回廊に陽が差すと、吾輩はサン・ピエトロ広場の片隅で優雅に昼寝をする。天を仰げば大聖堂、振り向けば修道士、人間どもは皆、神を語って忙しい。
最近、枢機卿たちがざわついている。「次の教皇は誰か」――選挙が近いのだという。煙突から白い煙が上がる日、人間たちは「精霊の導き」とか「聖なる投票」とか、立派な言葉で盛り上がる。
だが吾輩から見れば、あれは“宗教版の椅子取りゲーム”である。帽子と杖をかけた玉座を巡って、老人たちが真顔で牽制し合う姿は、実に滑稽だ。猫なら、そんなものは日なたの窓辺を確保する要領で済む。
「慈悲深き者が選ばれるべきだ」と言うが、果たしてその者が吾輩の昼寝を邪魔しない人物かどうか、それが最も重要である。信仰の自由より、昼寝の自由こそ尊い。
天国にも地獄にも興味はないが、もし神が本当に存在するのなら、きっと猫である。沈黙し、気ままで、時折いたずら好き。枢機卿たちも一度、猫の前で謙虚に丸くなってみてはどうか。
白い煙が空に舞うその日、吾輩はただ、しっぽを揺らしてつぶやく。
「神よ、われらにカリカリを与えたまえ」