吾輩は猫である。
名前はまだない。
海の向こうに、
故郷がある。
見えているのに、
自由には行けない。
人間はそこを、
北方領土と呼ぶ。
国後島。
択捉島。
色丹島。
歯舞群島。
かつて、
そこで暮らしていた人たちがいる。
家があった。
学校があった。
墓がある。
思い出がある。
だが、
戦争が終わって八十年以上が過ぎても、
自由に帰ることはできない。
吾輩は思う。
故郷とは、
地図の上の色ではない。
子供の頃に歩いた道。
家族と食べた飯。
窓から見えた海。
そこに暮らした者にしか分からぬ、
匂いのようなものではないかと。
北方四島への墓参や交流事業も、
現在は止まったままである。
日本政府は二〇二六年も、
高齢となった元島民の思いを踏まえ、
特に墓参の再開をロシア側へ求め続けている。
時間は、
待ってくれない。
若かった元島民は、
年を重ねた。
「いつか帰れる。」
そう願いながら、
何十年も過ぎた人もいる。
人間は、
領土問題と言う。
外交問題とも言う。
国家間の交渉とも言う。
だが、
吾輩には少し違って見える。
そこには、
ただ一度、
自分の家の跡を見たい人がいる。
親の墓に、
手を合わせたい人がいる。
それだけの願いまで、
国と国との争いに巻き込まれている。
猫なら、
昔暮らした場所の匂いは忘れぬ。
何年離れていても、
懐かしい場所へ戻れば、
鼻を動かすだろう。
人間も、
きっと同じである。
領土とは、
線ではない。
そこにあった暮らしまで含めて、
初めて故郷なのである。
吾輩は猫である。
国境は分からぬ。
だが、
帰りたい場所へ帰れない寂しさくらいは分かる。
北方領土訪問とは、
観光でも、
政治的な演出でもない。
長い年月を待ち続けた人が、
自分の人生の一部へ、
もう一度触れに行くことなのだ。
だからこそ、
時間との競争だけは、
外交より先に進んでほしくないのである。
海の先
帰れぬ故郷
まだ待てり