【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―北方領土訪問 編―

2026年9月5日

吾輩は猫である ―北方領土訪問 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

海の向こうに、
故郷がある。

見えているのに、
自由には行けない。

人間はそこを、
北方領土と呼ぶ。

国後島。

択捉島。

色丹島。

歯舞群島。

かつて、
そこで暮らしていた人たちがいる。

家があった。

学校があった。

墓がある。

思い出がある。

だが、
戦争が終わって八十年以上が過ぎても、
自由に帰ることはできない。

吾輩は思う。

故郷とは、
地図の上の色ではない。

子供の頃に歩いた道。

家族と食べた飯。

窓から見えた海。

そこに暮らした者にしか分からぬ、
匂いのようなものではないかと。

北方四島への墓参や交流事業も、
現在は止まったままである。

日本政府は二〇二六年も、
高齢となった元島民の思いを踏まえ、
特に墓参の再開をロシア側へ求め続けている。

時間は、
待ってくれない。

若かった元島民は、
年を重ねた。

「いつか帰れる。」

そう願いながら、
何十年も過ぎた人もいる。

人間は、
領土問題と言う。

外交問題とも言う。

国家間の交渉とも言う。

だが、
吾輩には少し違って見える。

そこには、
ただ一度、
自分の家の跡を見たい人がいる。

親の墓に、
手を合わせたい人がいる。

それだけの願いまで、
国と国との争いに巻き込まれている。

猫なら、
昔暮らした場所の匂いは忘れぬ。

何年離れていても、
懐かしい場所へ戻れば、
鼻を動かすだろう。

人間も、
きっと同じである。

領土とは、
線ではない。

そこにあった暮らしまで含めて、
初めて故郷なのである。

吾輩は猫である。
国境は分からぬ。

だが、
帰りたい場所へ帰れない寂しさくらいは分かる。

北方領土訪問とは、
観光でも、
政治的な演出でもない。

長い年月を待ち続けた人が、
自分の人生の一部へ、
もう一度触れに行くことなのだ。

だからこそ、
時間との競争だけは、
外交より先に進んでほしくないのである。


海の先
帰れぬ故郷
まだ待てり

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gonta

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