吾輩は猫である。
名前はまだない。
皇居と聞けば、
宮殿を思い浮かべる。
儀式。
外国からの賓客。
立派な庭。
ところが、
その一角には田んぼがある。
しかも、
天皇陛下が自ら稲を育てる。
人間はこれを、
皇居での稲作と呼ぶ。
吾輩は思う。
陛下も、
田植えをするのか。
少し意外である。
春には、
種をまく。
初夏には、
苗を植える。
秋になれば、
稲を刈る。
一年かけて、
米になる。
どれだけ立場が高くても、
植えた翌日に収穫することはできない。
稲は、
忖度して早く育ったりしない。
なかなか公平である。
天皇陛下が田に向かわれるのは、
単に農作業を体験するためではない。
日本では昔から、
米を育てることと、
実りに感謝することが、
暮らしや祭祀と深く結びついてきた。
皇居で収穫された米も、
新嘗祭などで供えられる。
吾輩は思う。
これは、
少し面白い。
国の象徴という、
ずいぶん大きな役割を持つ人が、
最後には、
一株の稲と向き合う。
水を見る。
土を見る。
育ちを待つ。
そして、
自分の手で刈る。
そこには、
便利な近道がない。
人間は、
何でも速くしようとする。
AIで速くする。
機械で速くする。
配送も速くする。
だが、
稲には稲の時間がある。
春にまいて、
夏に育ち、
秋に実る。
急げと言われても、
困るのである。
猫も同じだ。
眠い時は眠る。
腹が減れば起きる。
人間の予定表に合わせて、
成長したりはしない。
自然には、
自然の時計がある。
吾輩は思う。
皇居で稲を育てるということには、
そんな意味もあるのではないか。
国がどれだけ近代化しても、
食べ物は誰かが育てる。
どれだけ技術が進んでも、
人は自然から完全には離れられない。
一粒の米の向こうには、
土があり、
水があり、
季節があり、
人の手がある。
普段、
茶碗の中では見えなくなっているものだ。
吾輩は猫である。
米は主食ではない。
だが、
毎日飯が出てくることを
当たり前だとは思っていない。
……いや、
出てくる時間については、
かなり当然だと思っている。
皇居での稲作とは、
特別な場所で珍しく米を作る行事ではない。
日本人が長く大切にしてきた、
「育てること」と
「実りに感謝すること」を、
国の中心で、
毎年もう一度確かめる営みなのだ。
陛下でも
稲には急げと
言えぬ秋