吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ― 猫のいる暮らし 編―

2025年11月14日

吾輩は猫である ― 猫のいる暮らし 編―

吾輩は猫である。名はまだない。

朝、飼い主の目覚ましが鳴るより少し早く、
吾輩はベッドの上で伸びをする。
「おはよう」の代わりに、
軽く尻尾で飼い主の顔をなでる。
これが、我が家の一日のはじまりである。

台所では、トーストの香り。
吾輩は足元をうろうろしながら、
パンのかけらが落ちてこぬかと見張る。
飼い主は笑いながら言う。
「落ちないよ、今日はちゃんと食べるからね」
――ふむ、まるで小さな約束のようだ。

昼は陽だまり、夜はひざの上。
言葉は交わさずとも、
互いの呼吸が重なるだけで、
部屋の空気がやわらかくなる。
猫のいる暮らしとは、
沈黙が“安心”に変わる暮らしのことだ。

飼い主がふとつぶやいた。
「この子がいると、家が家になるね」
吾輩は目を細めた。
そう、猫は家の中心ではない。
けれど家を“家らしくする”小さな灯火なのだ。

吾輩は猫である。名はまだない。
だが、この家の時間の中で、
確かに一匹の命として息づいている。

灯をともす 毛並のぬくもり 暮らしあり


スポンサーリンク

  • この記事を書いた人

gonta

-吾輩は猫である(現代編)