吾輩は猫である ― 年金底上げ篇 ―
吾輩は猫である。名はまだない。
縁側で日向ぼっこをしていたら、飼い主がニュースを見て呟いた。
「年金が底上げされるらしいわ。ほんま助かるわぁ」
人間というのは老後が近づくと、財布と制度の心配ばかりする。
そのわりに、若いときは「自分は大丈夫」と言って外食と旅行に夢中だった。
猫には“将来”という概念がない。だがそれゆえに、吾輩たちは今日をよく生きる。
年金というのは、働いた分を後で戻してもらう仕組みだそうだ。
ならば、働けぬ猫には何ももらえぬのか?
いや、吾輩は家を守り、膝に乗り、時に癒し、時に笑いを生んできた。
この“無償労働”に対して、ちゅ〜る数本の報酬では割に合わぬ気もする。
それにしても、“底上げ”という言葉には、どこか不思議な響きがある。
上げたように見えて、実際は“底”の基準が上がるだけではなかろうか?
猫の爪研ぎ台も、台を高くしたところで爪が鋭くなるわけではない。
飼い主は言う。「これで老後もちょっとは安心やな」
その顔に浮かんだ笑みは、制度以上に吾輩を安心させた。
底上げに 届かぬ影も 日向ぼこ
今日も吾輩は、年金の支給日など知らぬまま、静かに丸くなって眠る。
安心とは、制度ではなく、人の表情から始まるものかもしれぬ。