【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―1万年に一度の大雨 編―

2026年10月13日

吾輩は猫である ―1万年に一度の大雨 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間は、
雨にも数字をつける。

一時間に何ミリ。

一日に何ミリ。

百年に一度。

千年に一度。

そして今度は、

「一万年に一度。」

吾輩は思う。

一万年。

ずいぶん長い。

猫なら、
何代生まれ変わればよいのか、
計算する気にもならぬ。

二〇二六年八月十三日。

千葉県に、
猛烈な雨が降った。

千葉市緑区から市原市東部では、
二十四時間の雨量が五百七十ミリを超えたと解析された。

道路は水につかり、
家にも水が入り、
暮らしそのものが止まった。

気象庁は、
この雨に名前まで付けた。

「令和8年8月千葉豪雨」。

自然現象に名前が付く時は、
だいたい良い知らせではない。

人間は言う。

一万年に一度。

吾輩は思う。

ならば、
あと九千九百九十九年は安心なのか。

もちろん、
そんなわけはない。

この「一万年に一度」は、
一万年ごとに律儀にやってくる雨ではない。

過去の気候を再現したシミュレーションの中で、
それほど起こりにくい規模だったという意味である。

しかも、
温暖化した今の気候では、
同じ規模の豪雨が起きる確率が、
過去より二倍以上高まっている可能性があるという。

吾輩は思う。

「一万年に一度」が、
少しずつ近づいてくるとは、
なかなか笑えない話である。

人間は、
確率が低いと安心する。

百年に一度。

千年に一度。

一万年に一度。

数字が大きくなるほど、

「自分の番ではない。」

と思いたくなる。

だが、
災害にとって、
吾輩たちの寿命など関係ない。

一万年に一度の雨でも、
今日降れば、
今日の雨である。

しかも水は、
人間の予定を聞いてくれぬ。

仕事がある。

明日なら困る。

車で帰りたい。

そんな事情など、
まったく考慮しない。

水位は上がる。

道路は見えなくなる。

いつもの道が、
いつもの道ではなくなる。

猫なら、
少し様子がおかしければ、
まず安全な場所へ移る。

理由は後でよい。

先に逃げる。

人間は、
そこが少し苦手である。

「まだ大丈夫。」

「前も平気だった。」

「ここまで水は来ないだろう。」

そう考えている間に、
逃げるための道そのものがなくなることがある。

実際、千葉豪雨では広い範囲で浸水被害が生じ、複数の自治体で多数の住宅被害が確認されている。

吾輩は思う。

防災とは、
未来を当てることではない。

外れてもよいから、
早く動けるようにしておくことだ。

避難場所を知る。

ハザードマップを見る。

川や低い道路へ近づかない。

車で水の中へ入らない。

猫がいるなら、
キャリーを出せるようにしておく。

薬。

餌。

水。

トイレ用品。

そして、
人間自身も忘れずに逃げる。

「一万年に一度だから仕方がなかった。」

そう言うことはできる。

だが、

「一万年に一度でも、
来るかもしれないと思っていた。」

そう言える方が、
少しだけ強い。

吾輩は猫である。
天気予報は読めぬ。

だが、
空気が変われば、
いつもの場所から離れることはある。

一万年に一度の大雨とは、
一万年先の話ではない。

低い確率という言葉に安心せず、
今日その一回が来ても生き残れるように、
日頃から備えておくべき雨なのだ。

人間よ。

一万年を心配する必要はない。

まず、
次の一時間を無事に過ごせ。


万年に
一度も今日なら
逃げる猫

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gonta

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