吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ― 五月雨篇 ―

2025年5月26日

吾輩は猫である ― 五月雨篇 ―

吾輩は猫である。名はまだないが、雨の日はいつも名前を呼ばれる。たいてい「また足ぬらして!タオルどこ!?」である。

このごろ空が忙しい。晴れるかと思えば、ぽつぽつと降り出し、気づけば裏路地が川のようになる。人間どもはこれを「五月雨」と呼ぶらしい。なんとも儚げで詩的な名前だが、吾輩に言わせれば「ただの濡れるやつ」である。

だが嫌いではない。雨粒が瓦を打つ音、葉の上で跳ねる様、窓辺にできる水の模様――どれも静けさの中に小さな変化があり、飽きぬ。
ただし、足は確実に濡れる。

家の中では、人間が洗濯物を恨めしげに見つめている。「また乾かへんわ」と呟きながら、機械に頼る姿は、まるで自ら狭い籠に入っていく鳥のようだ。
雨は自然の恵みである。濡れることすら、受け入れれば心地よい。吾輩など、濡れたあとに舐める毛づくろいがむしろ楽しみの一つである。

人間よ、少し落ち着け。
雨は空の息継ぎ、土のごちそう。五月雨を憂うるよりも、もう一杯お茶を飲んで、吾輩のように窓辺で眠るがよかろう。

今日もまた、にじんだ空を見上げながら、吾輩は毛を舐めてひと息つく。

五月雨や 猫もまた濡れ それもまた良し


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gonta

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