吾輩は猫である。名はまだない。
このところ、飼い主の咳が止まらぬ。
夜になると胸を押さえては苦しそうにしている。
医者の話では「百日咳」らしい。
百日――人間にとっては長いが、
吾輩にとっては、春がひと巡りするほどの時間だ。
そんなある晩、吾輩も喉がこそばゆくなり、
思わず「コッ」と鳴いた。
飼い主が目を丸くして言う。
「まさか、君まで?」
病院に行くわけにもいかぬ吾輩だが、
飼い主は部屋の温度を整え、
加湿器をつけ、
毛布をそっと掛けてくれた。
その手つきは、
まるで自分が看病されているかのように優しかった。
翌朝、飼い主の咳は少しおさまり、
吾輩も落ち着いた呼吸を取り戻した。
どうやら、病も心配も、
分け合えば半分になるらしい。
窓の外では春の雨がしとしとと降っている。
その音を聞きながら、吾輩は思った。
命というのは、
咳ひとつにも互いを映すものなのだと。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが今日も、この家で呼吸をひとつ――
共に生きている。
咳の音 重ねて響く 春の雨