吾輩は猫である。名はまだない。
それでも、玄関に掲げられた“表札”が変わるたび、
家の空気も、どこか落ち着かなくなることを知っている。
最近、人間たちは「夫婦別姓にすべきだ」と言っているらしい。
だが吾輩は、ふと考える。
名前がそろわぬ家族は、ほんとうに“同じ屋根の下”に住んでいると言えるのか?
飼い主の家も、表札は一つ。
「山田家」と書かれたその板に、
この家の“まとまり”と“責任”のようなものが漂っている。
たとえば、サザエさん。
彼女がいまも「磯野サザエ」のままだったら、
フグ田マスオは、そこにどう居場所を見つけるのだろう。
いずれタラちゃんが混乱するかもしれぬ。
「ぼくは磯野?フグ田?それとも波野なの?」
家族の名前は、ただの記号ではない。
ひとつにまとまることで、
嬉しいときも、つらいときも、“私たち”で受け止められるのだ。
姓ひとつ 鍋を囲んで 湯気まとう
人間は複雑な自由を求めるが、
名前が揃っていることで保たれる絆もある。
吾輩は、そんな“整ったにおい”のする家が、居心地よくて好きだ。