吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ― 鍼灸編 ―

2025年6月25日

吾輩は猫である ― 鍼灸編 ―

吾輩は猫である。名はまだない。
だが最近、背中のあたりが少々こわばっている。
お気に入りのタンスの上にひょいと飛べなくなった。

すると飼い主が、こう言った。
「猫にもツボってあるのかな?」
そして連れて行かれたのが、ペット対応の鍼灸院だった。

見た目はふつうの民家。
中に入ると、ほのかなよもぎの香りと、静かな音楽。
白衣の先生がやさしく話しかける。
「じゃあ、百会(ひゃくえ)のあたりから始めてみましょうかね」

百会? 天の真ん中?
そんなところに針を刺されて、たまるものか――
と思ったが、不思議と痛くもかゆくもない。
むしろ、体がふわっと軽くなる。

目を閉じていると、体の中で“気”が流れていくような感じがする。
肩の奥、背筋の根元、忘れていた場所が、そっと目を覚ます。

鍼を抜いたあと、吾輩は信じられぬほどスムーズにジャンプした。
まるで若いころのように。

見えぬ針 気をととのえて しっぽ立つ

科学では説明しきれぬものが、
この世にはまだ確かに存在する。
それは猫のゴロゴロにも似て、
癒しの“振動”のようなものかもしれぬ。

今日も飼い主は、予約を取ろうとしている。
どうやら今度は自分も受ける気らしい。


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gonta

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