吾輩は猫である。
名前はまだない。
一という数字は、
小さく見える。
百円の買い物なら、
わずか一円。
人間はこれを、
消費税一%と呼ぶ。
一円くらいなら、
大したことはない。
そう思う者もいる。
だが、
毎日の食事、
衣服、
日用品。
買うたびに重なれば、
一%も、
小さくはない。
吾輩は思う。
数字の重さは、
見る場所によって変わると。
一つの家計から見れば、
暮らしを左右する差になる。
国全体から見れば、
大きな財源にもなる。
下げれば、
買い物の負担は軽くなる。
だが、
減った分を、
どこから補うのかという問いが残る。
上げれば、
財源は増えるかもしれぬ。
だが、
暮らしに余裕のない者ほど、
重く感じる。
人間は、
一%だけを取り出して、
得か損かを語りたがる。
だが、
本当に考えるべきなのは、
その一%を何に使い、
誰がどれだけ負担するのかである。
集めることにも、
使うことにも、
説明がいる。
一%だからと軽く扱わず、
一%ですべてが解決するとも言わぬ。
小さな数字ほど、
丁寧に考えるべきなのだ。
吾輩は猫である。
税率は計算せぬ。
だが、
猫缶の値上がりには敏感である。
消費税一%とは、
数字の小ささではなく、
暮らしと社会の釣り合いを問う一%なのだ。
一%
軽く見えども
暮らし分け